神倭朝12~16、倭の五王、アショカ・ピラー(1500年錆びない鉄)
71、12代景行天皇
第三回仏典結集のアショカ王
丸墓山のことも竹内文書にはあったのだそうです。
・・当然古事記にもあったそうです。(稗田阿礼尊談)
タラシヒコのタラとは、5つの星の縁を現します。地ではタムラ族の地です。
アショカ・ピラー、マウリヤ王朝マガダの王、孔雀明王、神倭朝12代 景行天皇のものです。
これは、見ても鍛造では出来ません。
サンスクリットで平和への祈りが書かれています。これはアレクサンドロス大王の子、神倭朝5代 孝安天皇、チャンドラグプタのものなのだそうです。
そこにあるのは、悪しき所有を禁じた、マハービーラ(→継体天皇→覚鑁上人)の教えなのです。チャンドラバルマンとはチャンドラグプタ、孝安天皇のことです。
これは梵天、神々と交信するためのもので、出雲朝、エジプトの尖塔と同じ役目のものです。
鉄塔が錆びないのはリンが多いからだそうです。
溶鉱炉にカッシア・アキュレータと言うマメ科の植物を入れたそうです。
鉄工所はここに多かったそうです。アフマダーバード
拝火教、蹈鞴(たたら)の神でもあるアフラ・マズダ、ナガ、阿弥陀如来、建御名方命の地です。
製鉄技術はエジプトのヒラにあったのです。
その技術の根は、ギリシャからプトレマイオスが持ってきたのです。
アレクサンドロス大王の戦力の源が、この鉄で造った長槍です。
大王は、もちろん巨人です。連戦連勝でした。これが秘密です。
アショカ王は父と同じくらいだったそうです。
それでもお釈迦様(約4.8メーター)より大きいです。
アレクサンドロス大王は、もっと大きかったそうです。
ギルガメッシュ王、宇迦之御魂大神と同じくらい在ったそうです。
ライオンが猫のようなので、敵は居ませんでした。
アレクサンドロス大王はバビロニアで亡くなったことに成っていますがインドに来たのです。
このアレクサンドロス大王が、衆生救済する弥勒菩薩と祀られたのです。
ペルシャ、エジプトも開放されたのです。
https://matome.naver.jp/odai/2133759121820839401
インドのデリー郊外の世界遺産クトゥブ・ミナールに、アショカ・ピラーと呼ばれる鉄柱がある。直径44cm、高さ7m、地下部分2m、重さ10tの柱は99.72%の高純度鉄でできていて、表面にサンスクリット語の碑文が刻まれている。不思議なのは、鉄柱が1500年もの間、風雨にさらされながらも錆びないでいることだ。
紀元前のマウリヤ朝に実在した「アショーカ王」を讃え、平和を願う目的で1500年前に制作されたと言われています。
自然界において不安定な鉄(Fe)は、酸素を取り込んで、鉄鉱石はFe2O3 、Fe3O4など酸化鉄の状態で安定する。精錬した鉄も同様で、その過程で生じる酸化鉄が錆である。
動画がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=QRCRYqRSteA 14:14
04出雲朝 淤美豆神(オミズヌ) 大巳貴命→
刺国大とは出雲朝4代淤美豆神(オミズヌ)天皇、神倭朝13代 成務天皇の王妃の父のことです。刺国は四国の意味です。成務天皇はイタ公、ユーロの方です。
神倭朝13代 成務天皇の皇居はこちらだったそうです。真福寺、鴻巣市屈巣
そして当時の成務天皇の朝廷は宮殿様というお社のところです。
05出雲朝 天之冬衣神(アメノフニギヌ)
行田の八幡山古墳です。
こちらはバールベック神殿の作者でもある神倭朝14代 仲哀天皇の古墳なのです。
出雲朝では5代 天之冬衣神(アメノフ二ギヌ)という方です。
バールベックの人は鴻巣市の荊原(ばらはら)に引っ越してきたのです。
出雲朝の3人の天皇が、神倭朝14代の仲哀天皇に成っています。これが寒川(サムカワ)神社の「サム」です。火でもあります。
ギリシャの神々も出雲朝の王です。元締はユピテル神 大山祇尊です。
07出雲朝 鳥鳴海(トリナルミ)
成海神社は、倭健はじめ出雲朝の神々を祀っています。
鳴海とは出雲朝7代 鳥鳴海という方です。神倭朝14代 仲哀天皇の一柱です。
小野神社とは武蔵国一宮ともされた神社です。
真実は小野妹子の建立した神社です。 天照皇大御神様が鎮座されたのは、安寧天皇、お釈迦様の時代です 。
アショカ王、景行天皇が建立されたと言う、大國魂神社で祀る6つの神社は、ヘブライエ朝の王、大国主命の象徴、六芒星を現しています。
国府があったのは神倭朝39代 弘文天皇から、43代 元明天皇の時までです。
小野神社の御祭神は、あまり聞き慣れないと思います。出雲朝の方です。
大国主尊の次の、七代目の方だそうです。成海神社などの御祭神でもあります。
パルテノン神殿は出雲朝の7代王、鳥鳴海(トリナルミ)という方のものです。
ネフェルテイテイの6女が大本なおの前世です。前世はアイ、天海上人の孫です。
今日は内容が多大ですが、最後にスメンクカーラーの事です。
この方は出雲朝の7代 鳥鳴海という方です。日本では神倭朝14代 仲哀天皇の一柱とされる方です。
砺波市は、以前、出雲朝の7代 トリナルミという方の地名と申し上げました。
砺波市は出雲朝の土地なので、当然、出雲朝6代 大国主、7代 トリナルミ、8代 国忍富(誉田別命)を祀っていたのです。
こちらは祖泉(そいずみ)神社です。
元々は国忍富、誉田別命を祀ったのだそうです。今は創建も含め不詳になっているそうです。常世岐姫神社のようです。
近くに神功天皇、卑弥呼、比女神を祀る神社もあります。地図です。
応神天皇と比女神を祀る宇佐八幡宮は、国忍富、誉田別命と卑弥呼を祀ったのです。
久泉(ひさいずみ)とは久伊豆と同様、出雲朝4代 オミズヌ、神倭朝13代 成務天皇→大己貴命の事です。 ヒサとは13のことです。これが久です。
経津主命とは武甕槌尊と同様に三位一体の出雲朝の神仏です。
香取神宮の御祭神です。
仲哀天皇の時アオイタ公が金山欲しさにダキア(現在のルーマニア)に攻め込み、多くの苦しみを植え付けました。
このダキアの人が祀ったのがアルプスのお地蔵さま、ダキニ眞天様です。
成務天皇もアルプスの方で、天智天皇、斉明天皇は成務天皇を祀っていました。
本来の神倭朝十五代 神功天皇が卑弥呼です。これは既に述べてあります。ご本人は卑弥呼と言う表記は嫌がっています。
伏見稲荷大社で、大宮賣大神として祀られている方です。
この卑弥呼の墓は、やはりここにあったのだそうです。出雲朝の七代が、この地にあったので当然です。
ご本人のご希望で、地図にはヒミコとさせて頂きました。
ヒミコ(俗称卑弥呼)、神功(じんぐう)天皇様の陵墓だったという湖光の写真を投稿して頂きました。
垂仁天皇様の娘さんだそうです。
八女にも卑弥呼伝説があります。
八女とは卑弥呼、神功天皇の事です。出雲朝での名前だそうです。そして神功天皇に践祚したのです。
ササン朝とは、佐々など多数の御先祖様の国、ササン朝ペルシャです。
既に述べたように出雲朝はすべての国の上に在ったのです。今のような国家なき時代です。
このササン朝の初代王アルダシール1世は、神倭朝では14代 仲哀天皇です。
そしてシャーブール1世は、神倭朝15代 神功天皇です。卑弥呼という方です。
軍人のせいで歴史書に真実はありません。
アオイタ公手先のバカチョン明治政府が、神功天皇の真実を隠した原因がこれです。
神功天皇を皇后だった事にしてしまったのです。バチあたり共(→バチカン)です。
当然、ここフォルス(=パールス、タカの地)も邪馬台国だったのです。
出雲朝は、この星の全ての権威の上に在ったのです。
卑弥呼に屈服しているのはローマ皇帝です。
最初に龍神様、出雲朝に仕えたという劉備玄徳、軍師の諸葛亮孔明の紹介です。
りゅう、りょうはNAGと言うことで出雲朝のことです。流(龍)はもちろん、良もナガと読むことがあります。
この時代は前玉比子尊、建御名方命が出雲朝の王でした。行田に長野があるのは、このためです。
中国人は後に、出雲朝に反乱を起こしたのです。これが建御名方命の怒りに成っています。
劉備玄徳が建国した蜀とはこちらです。
日本では神倭朝15代 神功天皇、出雲朝で卑弥呼と呼ばれた方の時代です。
劉備は161年、神倭朝13代 成務天皇、出雲朝ではオミズヌという方の時代に出たのです。
劉備も中山王の子孫です。沖縄、琉球でも中山王が出てきます。
この中山王も、勾玉の国、インドのマガダ国の方です。
ざっと中山王はウガヤ朝7代 櫛豊姫尊天皇と同じ頃の方だそうです。
・・6800年位前だそうです。
田間宮、糠田の聖蹟分布です。田間宮とはサルゴン建玉天皇のお宮があったのだそうです。
狐塚は伏見稲荷の履中天皇の縁だそうです。
履中天皇が安閑天皇の父帝です。
鴻巣の歴史も、ざっと六千年以上です。
日本(=倭=邪馬台国=)は世界の棟梁なので、卑弥呼は30数カ国を治めていたのです。
何故、水戸藩が巨大な出費をしてこれを完成させたかといえば、中国の悪霊、宣化が水戸光圀を唆(そそのか)したのです。
約70年も神倭朝15代に在位していた神功天皇を独断で廃したことは愚か者の一言です。
水戸光圀(黄門)は中国人を師事したので、これが間違いです。(菅原道真公談)
08出雲朝王名は国忍富(クニオシドミ)→
この時の出雲朝の朝廷は鴻巣市加美町。
270、15 誉田別命(応神天皇}
以前テレビでも放送されていた日本王国とは、出雲朝の八代から十代までのことです。
出雲朝は世襲ではなく、税金もとりませんでした。
八代様は国忍富、誉田別命(ほんだわけのみこと)です。その為、行田は忍町だったのです。
テレビでも、日本王国の人は東北に逃げたと言っていました。その通りです。
しかし、その原因が嘘の歴史、日本書紀を捏造したフジアン藤原氏=中国人の侵略とは言いませんでした。
安閑天皇様に、当時の日本王国、出雲朝が始まった時の、誉田別命の皇居を教えて頂きました。
下忍神社だったそうです。その後、神倭朝の天皇に応神天皇として践祚されたのです。
既に1700年以上も前です。誉田別命は胎中天皇とも言われました。
安閑天皇様、清寧天皇様も、国忍富(くにおしどみ)の「クニオシ」名を頂いています。
これは動かぬ証拠です。
以前にもご紹介した、天照皇大御神(オオヒルメノムチ)様と邇邇藝命の聖地です。
ここは国忍富、誉田別命の時代に出雲朝の朝廷があったのだそうです。
地図です。見事な銅鐸の絵の下です。銅鐸とは天照皇大御神(オオヒルメノムチ)様の栄光、出雲朝です。
鴻巣の出雲朝の朝廷は、現在の加美町と言うところにあったのだそうです。1600年以上前です。
どれほどの時間が過ぎたであろうか、という意味です。
日記 国忍富の都 リンク先? AH73/1/13
清寧天皇の本名はシラカタケヒロクニオシワカヤマトネコノミコトと申されます。
このシロとは白イタ公のシロと言う意味です。
セとは、漢字で表現すると瀬が良いそうです。水です。
元巣神社の御祭神です。
元明天皇は啼沢女命(ナキサワメメノミコト)とされていました。
鴻巣の加美町とは神、上のことです。
箕田はミタンニのことです。氏神様は八幡様です。
ミタンニの人はサルゴン建玉天皇の時代にここに来たのです。
馬室の窯跡から箕田に埴輪が来ているのも、ひとつの証です。(涙)
漢風諡号、神倭朝15代 応神天皇(=出雲朝8代 国忍富、誉田別命)のことは、既に13年前から掲載しています。
応神天皇のOdin(オーデイン)とは北欧神話の最高神でもあります。
バルハラとは吹上の荊原(バラハラ)と解ったはずです。
現在は荊原は鴻巣市ですが、鴻巣から行田は国忍富、誉田別命の世界です。
国忍富尊にバルハラ宮殿に案内していただきました。
天神社が目印です。
フェニキア、レバノンのバールバックから人が日本、鴻巣の荊原(ばらはら)に逃げてきたのはローマの圧政の性です。
これが神倭朝15代 誉田別命の時代です。
289、阿智王、大和へ
カニシカ王は第4回仏典結集を行った後、来日し、仁徳天皇として践祚されたと伝えました。
それ以前は拝火教の国、ササン朝ペルシャの方です。カルテイールと言ったのだそうです。
このカルテイールが祀っていたのが、火の神アフラ・マズダ、建御名方神様です。ミトラ教です。
仁徳天皇が八幡宮で祀られているのは、仁徳天皇も出雲朝の方だったからです。
出雲朝 14代天日腹大科度美(アメノヒベラオオシナドミ)と言う方なのだそうです。
既に関西の仁徳天皇陵は、イタリア製と申し上げました。
本物はこちらだったそうです。
こちらが皇居跡です。平塚、〒254-0051 神奈川県平塚市豊原町5−23~下1号線まで
城山稲荷神社
https://hanami.walkerplus.com/detail/ar0311e60440/
埼玉県本庄市本庄3-5 |
囲炉裏とは一六吏という事です。
神倭朝一六代は仁徳天皇です。人を思いやった出雲朝の王でもあります。
実は土呂も十六なのです。
先日、18代 反正天皇の宗像神社はお伝えしました。その地は仁徳天皇も縁が深いのです。
巨大な木星向きの出雲朝の陵です。
東国に12の陵のうち9つがあったのだそうです。開梱されたのは49代 光仁天皇の時だそうです。
今では、どれほど巨大だったのかも解りません。
当然ながら、桓武以前には記録があったのです。(稗田阿礼尊談)
シリーズの荒神社の近辺にあった比丘尼横穴群の比企氏について説明します。
蕨の城主の墓所、宝珠院が、蕨で重要な地だそうです。
寒川神社の御祭神も、その本質は八幡様です。
この近くでは、仁徳天皇を祀った八幡神社も紹介いたしました。平塚