いままでのまとめ
最初、地球に陸地が存在しなかった。
エロヒムの宇宙船が飛んでるだけでした。
エロヒムは1つの陸地を造りました。
エロヒムは7箇所で実験室を作り、細胞から全ての生物を創造しました。
最後に人を創造しました。
エロヒムは7グループの内1グループ(グループ名へび)を残し帰還します。
マイトレーヤラエル、地球人は科学的に創造されたより
ネフィリムが巨大木を切り倒し、月の材料にしました。
エロヒムは、今の位置に月を配置しました。
エロヒムの残ったグループへびは帰還します。
地球の回りを周回する衛星を配備しました。(有名なブラックナイトか?)
地球は、シュメールからになります。
シュメール王名表、元締 ユピテル神 大山祇神(おおやまつみのかみ)
シュメール王名表をメネス王から逆算すると以下となる、別名も付加、代数は出雲朝
11215-10215、1代、ににぎの尊(在位1000年間)
10215-8965、7代、鳥鳴海神(在位1250年間)
8965-7465、10代、ミカヌシ、不動明王、ミトラ神(在位1500年間)
7465-6465、役小角の尊(在位1000年間)
6465-5265、13代、布忍富鳥鳴海 (ヌノシトリナルミ)(在位1250年間)
5265-4265、11代、事代主、ヤマトタケル、タヒリキシマルミ(在位1000年間)
4265-3536、6代、大国主、八千矛神、寒川比子尊(在位729年間)
3536-2890、9代、メネス王、アフラ・マズダ、建御名方命(在位646年間)
世界には、エロヒムが創造した7ヶ所以上、144000人以上いたと思われます。
ノアの洪水(1656年)から逆算するとアダム暦元年は4026年となる。
大洪水は4回目です。
日本には、エロヒムが創造した人達の文明が出来ています。広島のうが高原(
貨幣が無い、国境が無い、良い時代、縄文時代です。
アマテラス、常よき姫の時代です。
アマテラスは、アジア系生命創造グループのリーダーです。ヤーウェの娘です。
マイトレーヤ・ラエルの異母姉ということになります。
アマテラスは、沖縄のアマミキヨです。
鬼界カルデラの噴火6300年前
西日本から人が居なくなります。広島のうが高原の文明は亡くなります。
関東平野に日本王国が誕生します。鹿島神宮の創建が5000年前です。
後は、今まで書いたエジプト文明を参照
関東には、水晶の勾玉が出ています。
飛騨の口碑
天皇家は、神武天皇以前から上方様(うわかたさま)と呼ばれた時代が約6000年続いた。上方様の時代、天皇家は末子相続制だった。子だくさんの時代であり、兄弟姉妹は、民間に降りて婚姻し、多くの人々と血縁関係を結んだ。人口が増えてくると、人々の一部は、新しい土地を求めて、土地を去って行った。
そのときに、上方様の血族であるという証に、勾玉をもらっていった。勾玉は、湾曲した石で、その湾曲した部分には、皇室の魂が宿るとされた。去って行った人々は、それを我が身の係累の「証」として大事な折には身につけることを伝統とした。そうして何世代かが経つと、それぞれの土地に定着した人々が、はじめはひとりふたりだったものが、幾世代を経て、何百人かの集落となる。こうなると、同じ先祖を持つ親戚同士(村同士)でも、何百年も交流がなくなることがあり、そういう村同士が、ある日、なんらかのことでトラブルになる。村同士のイクサですから、これは村国家の一大事で、村長であるリーダーは、胸にご先祖伝来の勾玉を下げてイクサの場に赴き、相手の村国家の軍団と対峙してみると、相手の村長の胸にも、同じ勾玉が!そこで、
「やあやあ、あなたも上方様のご一統ですか」
「ハイ、私は何代の○○様の時代にこの土地に来た者です」
「そうですか。私は何代の□□様の時代ですよ」
「それなら、お互い親戚ではありませんか。ならばイクサなど辞めにして、一緒に酒でも酌み交わしましょう」
などとなって、流血事件が避けられたのみならず、互いの村国家同士の交流が深まり、互いに発展することができた。
そんな「証」が、勾玉であった、という。
弥生時代の直前と思われる口碑(山本健造著「明らかにされた神武以前」福来出版より要約)
飛騨は涼しくて、食べるものが豊富にあり、人々は大自然や先祖に感謝をして、”日抱御魂鎮”(ひだきのみたましずめ)をして平和で幸せな生活が長い長い間続いた。今から約2500年前のころ、大淡上方様(おおあわのうわかたさま)と申し上げる、賢くて、とてつもなく神通力を持ったお方が旗鉾(はたほこ)の奥の方にでられました。
大淡上方様は深く深く日抱御魂鎮をして、「先祖代々このかた、皆、平和で幸せで仲良く暮らしてきたが、これから将来海から上がって来た人たちが暴れたり、喧嘩したりする事が起きてくるだろう。
今までは、ただ仲良くしてきただけでよかったがこれからは団結して固まってゆかねば幸せを守ることはできない」と考えました。(いざと言うときに備えて国造りをせねば)
大淡上方様がのう、日本の国を、あのころは日本とは言わなかったのだが、日本の国を末永く立派に保つにはどうしたら良いか、外国に侵略されないようにするにはどうしたらよいか、いろいろとご心配下されたそうじゃ。
そして、国内のあちこちに使いをだされたのだ。・・・
口碑では、日抱御魂鎮を行って一番の大神通力者であり皆から敬わられた大淡上方様が、行く末を見通す神通力(未来の透視)によっていずれ海から上がって来た人達が暴れたり、喧嘩したりするとはっきりわかったのです。我々の先祖は本当に尊い方々であり、みんなが末永く幸せに暮らせるためにはどうしたらよいかと日抱御魂鎮を行って考えたと思います。日抱御魂鎮は「祈りの精神統一」であり大自然に感謝し先祖に感謝しみんなが幸せになるよう祈る。本家と分家という仕組みを作り国を護ろうとした。
大淡上方様の長男の直系の山麓住日高日抱奇力命(ヤマノフモトズミヒダカヒダキクシキチカラノミコト)や次男の山下住水分奇力命(ヤマシタスミミクマリクシキチカラノミコト)は飛騨の要所を固め、末っ子の直系命(マッスグノミコト)が直系を継がれた。
だんだん温度が下がるにつれて、西の方へもだんだんと広がって行った。大淡上方様は子供や孫や部下の者に、常に国を守って立派にすること、そのためにはまとめ役をする人によく仕えて団結すること、将来のことを見通して大きな希望を持ってやりぬくこと等々を教えられてのう。子は孫にまた孫にと子孫は受け継いたんじゃ。
大淡上方様には子が大勢おられてのう。一番賢くて一番神通力の強い末っ子の御方が大淡上方様の跡を継がれて、他の兄弟は、区別をするために姓をもらって分家(あぜち)をしたんじゃ。大淡上方様も生前は上方様と申し上げて、上方様の家は代々名字が無うて、分家をするときに苗字をもらったんじゃ。代々の上方様は一人一人名前をよう覚えておらんが、末っ子や女の人に賢い人がよく出られてのう。先代に分家した者、先々代に分家した者、兄や姉も皆、上方様上方様と敬い申し上げてのう。よくお仕えしてのう。また上方様は皆の者を可愛がって下されてのう。
総本家の上方様を中心にまとまっておったんじゃ。云々。」
弥生時代の初めごろと思われる口碑
15代淡上方様は都(本拠)を丹生川村から宮村に移し、後継者の孫 位山命(クライヤマノミコト)に皇統命(スメラミコト)の尊称を授けた。スメラミコトの称号はここに始まる。15代淡上方様一族を全国に派遣し、縄文連絡網を作った。
紀元前後と思われる口碑(山本建造著、「日本起源の謎を解く」より)
34代伊邪那岐命(イザナギノミコト)のお妃は出雲から来られた伊邪那美命(イザナミノミコト)。長女ヒルメムチノミコトは神通力が優れておられたので、父伊邪那岐命は、ヒルメムチノミコトに皇統命の位を譲られた。ヒルメムチは35代。のちに「天照大神」と申し上げる。このあと都を大和に移すことになり、ヒルメムチノミコトの孫、ウガヤフキアエズノミコトの末子サヌノミコトが初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコノミコト)。大淡上方様から数えて39代。位山命から数えると24代スメラミコトである。
初代の子孫天孫族が各地に展開し防護体制もほぼ出来上がり35代天照大神の飛騨政権の時代となった。
この頃、九州には3つの外国勢が大挙上陸し古来よりの住民はとても酷い目に合っていました。 それでヒルメムチ=天照大神は飛騨の人を天の安川原に集め皆に諮りました。そして①日本を一つにまとめる②早々に筑紫を平定する③飛騨は降雪が多くなり動きが取りにくくなったので大和(奈良)に都を遷す。事が決定されました。奈良に決定したのは先に近畿に展開していた山本高山土公命の子孫が会議に加わっていた為に奈良橿原の地が選ばれました。
その前にヒルメムチは出雲が飛騨の次に大きな政権だったので政略結婚の縁組で和睦する方法をとりました。弟スサノオ命は出雲に婿に行き、スサノオの後継者大国主命の所へ長女多紀理姫を嫁にやり、4男熊野久須毘命が婿に行き、いずれ市寸島姫と多岐都姫も嫁にやる約束をしました。 ところが出雲に行った熊野久須毘命が変死し、多紀理姫も大国主が腹違いの妹の須勢理姫と一緒になり、多紀理姫との長男の阿遅志貴高日子命(加茂命)を後とりにもしなかったので、下照姫と阿遅志貴高日子命を残したまま飛騨に逃げ帰りました。大国主は父素戔嗚命の諭しも聞かず二人で駆け落ちしてしまいました。これは国と国の約束を反故にする重大な謀反ですから、すぐさま飛騨から談判に行きました。しかし、天穂日命が行っても、若彦が行っても大国主に会えませんでした。
大国主は11年間も新羅に行ったまま帰らず、新羅のソ氏の娘などに181人もの新羅人の子供を孕ませていたのです。この件で、飛騨は命だけは助けましたが、大国主と事代主親子は飛騨によって国を飛騨に返還し、飛騨の匠が建てた幽閉所に幽閉されました。出雲は元々、先程の山下住水分命の子孫が開拓して作った国であり、飛騨へ返させたのです。
これで出雲の件が一段落し天照大神の孫の饒速日命が会議の決定通り奈良橿原大和の建設に向け大挙して向かいました。その後弟の邇邇芸命が大軍勢を率いて九州平定の為高千穂へ遠征しました。(天孫降臨)中を省略しますが、邇邇芸命は九州で亡くなりましたが、その孫のサヌ命=神武天皇が無事九州平定なって橿原入りされて初代日本国天皇として奈良橿原飛騨大和朝廷の本格的建設をされることになりました。
しかし、先程大国主が新羅に行きソ氏の娘に子供を孕ませたと書きましたが、その子が青年になって父が幽閉されているとも知らずに出雲にあいに来ます。そして父が幽閉されているのを見て、後に統治していた天穂日命を惨殺し出雲政権を乗っ取るのです。そうです、この子が少彦名=五十猛なのです。 そしてやがて蘇我氏が天皇を凌ぐ権力を持ち大和朝廷を支配することになるのです。
http://www.geocities.jp/mb1527/hidayayoi.html
日輪神社
日輪神社は創立年代不詳で、天照皇大御神を祭神とする。日輪神社・日輪宮という別称もある。本殿は宝暦4年(1754年)の建築で市指定文化財である。
社地は里から見ると鋭角的な三角形の山容をもち、比高差は約100m。1938年、陸軍大佐の上原清二が『飛騨神代遺跡』を発表。ここで日輪神社は太古「ピラミッド」「弥広殿」と呼ばれる太陽祭祀遺跡だったという説を披露した。上原『太古之日本』天之巻(1950年)・地之巻(1952年)の中では、日輪神社の社殿が建つ部分が平坦加工された拝殿部であり、背後の裏山には高さ約20mの円錐形の神殿部があり、この円錐形拝殿部はどこを掘ってみても川石が出てくることから、自然地形の尾根上に人工の山形を持ったものと述べている。また、円錐形神殿部の頂上には、酒井勝軍で言う複葉内宮式(内側に方形の列石が巡り、外側に環状の列石が巡るというもの)の磐境の一部が現存しているとのこと。外円の列石は残っていないが、内方形の列石の一部が現地に残っていたということ(同書の附図によると4個の岩石)。
磐境の中心に置かれていたとされる太陽石は、現在、本殿の傍にある約2mの岩石がそれであろうと推測している。これは現在も本殿脇に現存している。上原の聞き取りによると、この岩石はかつて裏山にあったもので、約40年前(1910年前後?)にここへ持ってきて、丸形の石であったがこれを割って土止めのために使用したとの話を紹介している。社殿向かって右隅に、尾根の南側を巻くように歩ける踏み跡があり、その先に「太陽石」がある。岩石の表面に金属で穿たれたであろう点線状の直線が2本残っている。石割りのための楔の跡と考えられる。上原の著作を読む限り、本殿脇の岩石が元々の太陽石の残骸であり、この楔跡の岩石は後発の太陽石だと思われる。
また、位山、洞山、日ノ御岳、拝殿山、立岩、御岳、乗鞍、槍ヶ岳、立山、天蓋山、数河の巨石群、須代山、見量山の平面ピラミッド、松倉山、水無神社など、飛騨に点在するピラミッド山は「日輪神社」を中心として16方位に等分している。
岩屋岩陰遺跡
岐阜県下呂市金山町に、「金山巨石群」と呼ばれる日本を代表する遺跡がある。岐阜県史跡文化財として指定されている《岩屋岩陰遺跡》という遺跡である。岩に線刻があり、冬至、春分、夏至、秋分の太陽が寸分の狂いもなく巨石に仕掛けられた隙間からスポット光として出現することなど、天体を映し出す驚異的な観測装置として機能している。イギリスのストーンヘンジのように太陽暦として機能するように設計され建設されたと推定されている。
金山町の3ヶ所にある巨石群(岩屋岩蔭遺跡巨石群、線刻石のある巨石群、東の山巨石群)は、いずれもこのような節目の日を読み取ることによって、1年間の周期を知ることがでる。
特定の期間に日の光が、巨石と巨石の隙間や空洞へ射込む、またはその頃だけは射込まないといった仕組みになっており、 いくつもの縄文土器が発掘されていることから、縄文時代に人為的に造られたものと推定される。
●岩屋岩蔭遺跡巨石群 - 突出した石面によって冬至の頃を中心に観察でき、冬至をはさんだ119日間が読み取れる。春分・秋分の頃、測定石によって平年(365日)と閏年(366日)が読み取れる。
●線刻石のある巨石群 - 春分・秋分の頃、測定石によって平年(365日)と閏年(366日)が読み取れる。
●東の山巨石群 - 冬至の頃、山から昇る太陽が特定の石の示す線上から出現する。
以上から推測すると、縄文時代に太陽暦が存在していたことになり、従来の通説を覆すものであり、現在も調査が続けられている。
http://www.geocities.jp/mb1527/ugayachou.html