世界7大文明が最初にありました!エロヒムが創造した人達です。
縄文文明は日本の最初の文明ですが、広島ののうが高原にエロヒムの創造した人がいました。
遺跡から一番古いのが青森県津軽半島大平山元遺跡(おおだいやまもといせき)です。
東日流外三郡誌には、蒙古より阿蘇部族日本国北方に移住。1000年後、津保化族が来たとあります。
伏羲、女媧、神農の世
(支那神農の世)津保化族東日流ツボケ山渓に石塔(オテナの塔)を建立
(支那黄帝の頃)支那、エジプトで文字流通。日本では石置の印が流通
(支那五帝の世:少昊しょうこう帝、顓頊せんぎょく帝、嚳こく帝)
出雲と南海道(四国か)に国ができた。
(支那帝舜王) 築紫に国ができる。
(支那夏の世:都は安邑)
印度で日種、月種の両王族興る。
アリアン族(アーリア人か)、ブンジャプ(インドの地名か)に侵入。
(支那潰帝:夏の八代皇帝槐帝のことか)
(支那殷の世:紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)
エスライル人始めて偶像を拝す。
日本では土石像で天地人の神を造拝す。
ダビデジェルサレムに都す。
(周帝幽王〈前781年 - 前771年〉六年)
オリンピア祭始まる。
(東周平王〈前770年 - 前720年〉六年)
東日流に夷三郎(えびすさぶろう)流着し漁撈を行う。
(東周平王四十七年:前723年)孔子「春秋」を作る。(孔子の生没年月日は
紀元前552年10月9日‐紀元前479年3月9日とされるので時代が合わない)
(東周桓王〈前719年 - 前697年〉
壬戌元年)高砂族大挙して築紫に上陸、猿田族を誘惑し、
民を併せて稲作を耕す。
(東周桓王庚午九年:前710年)高砂族の長豊玉彦、日向に都し、
一族玉依媛四人の男子(神武帝の兄弟か)を生めり。
https://blogs.yahoo.co.jp/rich036kit/14323500.html
【東日流外三郡誌の「神武東征譚」】
(東周荘王〈前696年 - 前682年)丙戌二年:前695年)
耶馬台国二百七十代安日彦王位に就く。五畿七道を治める。
(東周荘王己亥十五年:前681年)
安日彦王、弟登美長髄彦を副王とし築紫平征を企てる。
(東周釐王りおう〈前681年 - 前677年)辛丑二年:前680年)
日向一族高千穂宮に日子五瀬王兄弟耶馬台国東征を企て、
豊国宇佐に宮を移す。耶馬台国軍豊国を攻撃し宇佐宮を焼落し、
日向軍敗れる。翌壬寅三年(前679年)築紫岡田に敗退す。
勢いを蓄えて、
癸卯四年(前678年)耶馬台軍を破り赤間水道を安芸国まで進行するが、
耶馬台軍に囲まれて7年間停滞する。
(東周恵王〈前676年 - 前652年)己酉五年:前672年)
築紫から日子五瀬王軍が大挙して駆けつけ耶馬台軍の包囲を破り、
吉備の高島まで進軍し陣取る。
長髄彦の媛と結婚する。しかし、このことを怒った稚三毛渟麻命は、
壬子八年(前669年)東征の準備を始めると、
耶馬台国王の安日彦は大いに怒って長髄彦を責めた。
五年後の丁巳十三年(前664年)、出雲族と南海道の耶馬台五畿軍が
叛いて日向軍に加勢。
高坐山(不明)を攻撃するが耶馬台軍勢が強く、
日子五瀬命は矢に当たって討ち死にした。
稚三毛渟麻命は兄三人が討ち死にしたことを怒り、
饒速日命を責めると饒速日命は義父の長髄彦を攻撃し深手を負わせた。
一族を引き連れて日高見国へ退散した。
劣勢となった耶馬台国王安日彦も多くの兵及び領民を率いて、
日高見国へ退いた。その数は総勢十余万人にも上ったという。
BC13000年にあそべ族が津軽に来て遺跡を残したのでしょう。
初代耶馬台国王久佐男彦三輪山に立君は、いつ頃か。
神農はいつ頃か、ことらの日記を検索すると、2
008/02/29 - 神農は、身体が脳と内臓以外透けていて、透明人間のようだったそうである。 毒をなめると、内臓の、毒のあたった部分が黒くなり、それで毒を感知したそうである。
モーゼや神農、役の行者は上のものであった。
こちらは神農と言われる漢方の神様である。 神農) そして、こちらはミケランジェロ作のモーゼである。皆角がある。 モーゼh= 社主が、角があるのは神様だと言っている。
今のイエメン、サナーズ(サマー=夏、炎天下)の出身だそうである。
エジプトにもよく行ったそうである。炎帝神農氏と称されるそうである。
沢山の農具を発明し、交易の道を教えたそうである。
医薬の神、鍛冶の神、商業の神、易の神として、多方面から崇められるそうである。
神農はエジプトで多くのことを学んだそうである。
アトランテイスの人の子孫が沢山いたのだそうである。イエメンに住んだ、アトランテイス人の子孫なのだそうである。
私も、あの、頭皮頭蓋骨を透て見えた脳はなんだったのか、やっと解った。
当時は、まさにピュアな人が多かったのである。
神農様は最後はやはり毒の鑑定中に、毒にあたって死んだそうである。
その時はエジプト、アルカヒラに居たそうである。248歳だったそうである。
当時のアトランテイス人の子孫としては短命であったそうである。
時代はピラミッドを造っていた時だそうである。もちろん神農様も参加されたそうである。
勿論、文字などと言う、悪魔の道具に成るものは無かった時代である。
神農様は木星の第7レベルにお住まいだそうである。仏教で言う如来の世界である。
エジプトのピラミッドは木星に石抜けするための通路でもあったのである。
神農様は遠路はるばるご苦労様でした。
神農様はフリーメーソンのランク11位(13段階)だそうである。
高位のメーソンは、岩舟を使わずとも、直接石抜けで地球に来られるのだそうである。
年代がはっきりしません!
アトランテイスの頃は、ミノア噴火(クレタ島、サントリーニ島、アトランテイス沈没)BC1628年です。
この後とゆうことです。新しいです。
神農はピラミッドを造っていた時とゆうと、ピラミッドはBC10000年頃に作られてます。神農は2回は存在しています。
竹内文書では、上古初代、天神人祖一神宮(皇祖皇太神宮)を、富山に移すとあります。トラスの時代、エジプト第2王朝BC2890年です。
年代の単純計算、耶馬台国二百七十代安日彦王位に就く。BC695年。
一人20年とすると、5400年前、BC6395年となる。8400年前となる。
ことらの日記で日本開闢8400年前とあります。同じになってきた!
エジプト、アルカヒラ
アルカヒラ=カイロのアラビア語名。
まだ、日本には遺跡がいっぱいあります。分かりやすい年表があれば良いね!